La Vita è Bella


 黄金色に輝く光の奔流が、足下から上へ上へと巴マミの身体を包み込む。それは意志を持ったかのように徐々に身体に絡みつき、その光景は物理法則の及ばない魔法の力によるものだった。

 光はマミの身体に触れると同時により輝きを増し、その一瞬の後には粒子となって弾けて消えてゆく。不思議なことに、その光帯が過ぎ去った後に現れたのは、魔女を狩るための衣装を纏ったマミの姿だった。

 学生の象徴のようなパンプスやプリーツスカートは、ロングブーツと見る者に強い印象を与える黄色いフレアスカートへ。上着は二の腕までのスリーブ付きのブラウスに。腰に配されたコルセットは細いウェストと豊かな胸をより一層強調していた。

 首もとを通り過ぎて散った最後の光の粒子を集めて髪飾りをひと撫ですると、そこには見事な毛並みの白い羽飾りと濃紺のベレー帽。

 一瞬の跳躍の間に中学生から魔法少女≠ヨと――文字通り姿を変えて、ふわりと着地した。

「いけそうかい? 巴マミ」

 変身を終えたばかりのマミと呼ばれた少女は、すっと目を細め穏和な顔立ちを真剣な眼差しへと切り替えた。中学三年生という年齢に似つかわしくない大人びた表情は、普段の優しさを振りまくような彼女の顔からは程遠い。

「ええ、問題ないわ。キュゥべえ」

 返した言葉の先には白い毛並みの見慣れない小動物がいる。

 一言で表すのならば『人語を話す成猫大の生物のようなもの』だ。

 けれどもそれは猫とは違い、真っ赤な瞳と同色の円環の模様が背中にあり、耳からは大きな第二の耳のようなものが垂れ下がっていた。その末端はほんのりと桜色で、どのような原理なのか両耳の中程にリング状の物が宙に浮いている。

ぱっと見では愛らしい容姿なのにも関わらず、どこか奇妙な生き物だった。

 人語を理解し、喋ることも出来る小動物は自らをキュゥべえ、と名乗った。

 そのキュゥべえの言葉を信じるならば、願いと引き替えに少女を魔法少女へと導く使者――そのような存在らしい。マミにとっては魔女を狩る手助けをしてくれるマスコット、そんな認識になっていた。

 もとより人智の及ばない生物で、それ以上を追求しても何が変わるわけでもない。

「さあ、行くわよ!」

 自らを鼓舞させるように力強く言ったマミの手には、いつの間に現れたのか白銀に輝く一丁のマスケットが携えられていた。

 ふっと小さな呼気を発して集中力を高める。

 これから赴くのは平穏な学生生活などではなく、死と隣り合わせの魔女狩りの時間なのだ。

 そう理解していても、どこか心が躍っている自分が居るのも確かだった。

 今度は、どんな敵なんだろう。どうやって倒そうかしら。

 そんな高揚感すらマミの気持ちの中には生まれていた。

 小さめのビルならばすっぽりと入ってしまうだろう、落とし穴のような空間へと舞い降りる。

 魔女の結界の中特有の体感を狂わせる景色が、思いの他長い落下を感じさせた。

 数十秒にも感じる落下の後、マミが着地したのは広い競技場のような場所だった。

 イタリアのコロッセオを思わせる石造りの競技場は、それと同じく所々が破壊されていて完全には円形を保てていない。

 その荒れ果てた闘技場の奥に――巨大な騎士が佇んでいる。

 マミの数倍はゆうにありそうな背丈の騎士はその身体を薄汚れた黒曜石の如き漆黒の甲冑に全身を包んでいた。その頭部は重々しい兜で完全に覆われていて、奥に潜む表情は判らない。

 もっとも、その中身に人間らしい表情などあるのかそれこそ知れたものではない。今まで退治してきた魔女にも人型はいたけれども、どれも人間の喜怒哀楽に通じるような表情をしていたためしが無かったのだから。

 騎士のような姿のせいか、「魔女」と呼ぶのはいささか躊躇われる。現にその手には長大な槍――騎兵が装備するようなランスが握られていた。

『どうやらあれがこの結界の主みたいだね』

『そうみたいね』

 辺りに魔女の手下の気配はない。その身に似つかわしく、一対一の勝負を挑もうというのだろうか。

 様子を伺おうとするマミに気がついたのか、金属のきしむ音を立てながら、魔女が一礼。

 ランスをマミに向けて腰溜めに構え――突進を繰り出した。

 体躯に見合った重量感を感じさせる、地鳴りを伴った前進。決して早いとは言えないそれに距離をとろうと後ろにステップ。着地と同時にマミはマスケットのトリガーを引いた。

 乾いた発砲音がコロッセオに鳴り響き、それと同時に魔法の弾丸が魔女に向かって牙をむいた。さして狙いをつけたわけでもない、無造作な発砲。それでも、的の大きさも相まって魔弾は一直線に魔女の身体へと吸い込まれてゆく。

 爆発音と共に魔女の肩部装甲へと着弾した攻撃は、派手な音を立てて――

 けれど、それだけだった。

 わずかに仰け反りながらも魔女は被弾を気にすることなくランスの有効射程にまで距離を詰める。

 繰り出されたランスの一撃は突進とは桁違いの速さで――迅雷と呼ぶ速度だった。
 動体視力がそれを突きだととらえて認識する前に、マミは直感に従って地面を転がるようにして横に飛んだ。

 その直後、轟音と共に圧倒的な運動エネルギーが真横を通り抜ける。

 敵を見失ったランスが風を切り裂きながら石の壁に突き刺さる。重く鈍い破砕音と、地鳴りのような振動がコロッセオ全体に響いた。

 魔女がランスを壁から抜いている間に、マミは転がるようにして距離を離し――

 それと同時に未だ背中を向けている魔女に向かいマスケットを召還して乱射。

 発砲音が五つ、六つと鳴り響いて、その弾丸の全てが魔女に着弾する。

「……これでどう!?」

 マミが手応えを確認するかのように土煙の向こうを睨みつけた。

 今までだったら、これでかたがついてきた。

 今度は?

 土煙が薄くなり、徐々に魔女がその姿を現す。

 被弾したにもかかわらず、魔女はゆっくりと再びマミに向き直ってランスを構え始めた。

 その様子を見ると、鎧の端々にわずかにひびが見られる程度で銃弾の一撃は思ったほどの効果を挙げていないようだった。

 どうやらあの鎧はかなりの硬度を誇っており、マスケットの一撃では中にまでダメージは通らないらしい。

「固いわね……。今ので腕の一本くらいはもらえたかと思ったのだけど」

 ぽつりと洩らしたマミの表情は険しい。

『あの鎧は厄介だね。今までの魔女とはタイプが違うようだ』

『そうね……。それになんだかとっても好戦的みたい』

 直接頭に響くキュゥべえの声に返事をしながら相手を分析して、マミの顔が微かに曇る。

 今まで倒してきた魔女の攻撃はどちらかというと、本能や防御反応といった雰囲気があったが、眼前の魔女からは積極性を感じた。

 そこまでを脳裏に浮かべたところで、再び魔女は突進して反撃に転じてきた。

 真っ直ぐ向かってくる魔女にマスケットの射撃を浴びせかける。着弾の衝撃に一瞬怯んでいたものの、魔女は即座にランスを旋回させて脇腹へと一閃。

 咄嗟に横に転がりマミはこれを避ける。

 起き上がりざまに発砲。狙いは魔女の肩。

 狙い通りに、最初にダメージを与えた肩部装甲へと銃弾が突き刺さった。

 甲高い破砕音を響かせながら、肩部装甲が砕け散った。

「二発当てれば……くっ!?」

 光明が見えたのも束の間、破砕の衝撃にも動じず連撃のようにランスの一撃が襲いかかかる。

 回避が間に合わない。

 咄嗟にマミはそう判断してマスケットで受け流そうと構える。

 武器同士がぶつかり合う鈍い音と、次の瞬間には体格差と膂力の違いが現れ、手に想像を遙かに凌駕する衝撃が伝わった。

 まずい、と思った瞬間には後方へと大きく吹き飛ばされていた。

「くっ――!」

 弾き飛ばされた先には、石の壁。

 激突するまでの僅かに残された時間で、マミは胸元のリボンを解いていた。

 片手に持ったそれを石柱の一つへと振り抜いた。途端に元の数倍もの長さに伸びたリボンは、石柱へ絡みつき、石の壁へ一直線に向かっていた勢いを大幅に殺した。それでも、殺しきれなかった慣性がマミを背中から壁に叩きつける。石の壁が割れて、鈍重な音と衝撃が背中に響く。痛みはあるけれど充分耐えられる程度のものだった。